道具に拘るエンジニアはだいたい無能だという主張があるらしい。
引用:http://anond.hatelabo.jp/20131005004542
しかしながら本文中にもあるように、深く考えるために、落ち着く「環境」は大切だと思う。
出来るエンジニアが最も求めるのは、深く考える事が出来る環境と、
周到な議論を繰り返せる優れた同僚に他ならない。
環境というと、静けさだとか暑さ・寒さとかだけを指す言葉のような気がするけれども、目的は「深く考える」ためで、私の場合はそれは「落ち着く」事でなんです。そのための「環境」が必要。その上で、その「環境」に「道具」が含まれるか否かだけでの話にすぎないだけだと思う。
ちなみに多くの工学部の人は、自分の研究とかに対して「何故その手法を用いたのですか?」という質問をすると、最初は理性的な答え(速度が速いから等)を返してくる。その答えに対してさらに、何故その答えなのか?と細かく突き詰めていくと、結構な頻度で「xxでもできるのですが、ooの方が美しいからです」という答えが出たりする。多くの場合、これはコンセンサスを得られる答えではない。しかしながら、これは責められる事ではなくて、大切な個性、所謂その人のセンスだと思う。
表面上は理論武装してても、一皮一皮丁寧に向いていけば、「好きだから」「美しいから」といった本能むき出しな価値観で仕事に取り組む。それが工学系の実態だし、だからこそ多様性のある技術進化の模索ができると信じてる。
だから、大まじめには他人の道具(環境)にケチ付けないほうがいいと思うんだ。emacs派とvi派は犬猿の仲に見えて同じ穴の狢なのです。もちろん、気の知れた中でお互いの道具の自慢(≒ケチの付け合い)をするのは楽しいってのはわかりますよ。えぇ。
ちなみに私の場合
私は信号処理のソフト開発がメインなので、引用元が言っているエンジニアに近い仕事だと思う。
そんな私の落ち着く環境は思いつく限り以下のようなもの。
- OS:FreeBSD メモリを使い過ぎた時も、ディスク溢れさせた時もそっと動いてくれる頼もしい存在。
- エディタ:emacs ぶっちゃけオートインデントが付いていればどんなエディタでも良いと思いながら、手に馴染んでるのはコレしかない。
- グラフ描画:gnuplot 100ぐらいの大きさの信号中の0.1ぐらいの変動を目視で見たい!って感じなので、拡大縮小が気持ちよく動く事は個人的に大切。一度だけソース覗いた事あるけど、データ入力・保持周りを頑張ればもうちょっと描画速度あげれるよね・・・・という不満はあるんだけどね。
- キーボード: Realfoce 89 フルサイズのキーボードはマウスが遠いのが気になる。
- ボールペン:インクどばどばでちゃう感じのをサラサラインク系のボールペン
- 紙:薄いノートorプリンタからパクってきた紙。基本殴り書きでグラフ書いてる時間が長い。分厚いノートは苦手。偶に数式解くけど、Maxima(数式処理ソフト)に出来るだけやるようにしてる。
- 音楽:コーディング中等アウトプット作業中は音楽があると集中できる、論文読んだりのインプット作業中は音楽なしが集中できる。考え中はどっちでも。自分でも不思議なぐらい作業によって効用が違う。
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