2019年12月8日日曜日

自然と自然に フ自然な話の電飾トンネル

2019/12/1-8と電飾を山城森林公園に展示してきました。(https://hikarito.akirayou.net/)その時の作ってる時に思っていた事のメモです。 (そういや写真あまりとれてない・・・取ってた人いたら下さい)

この作品を作るきっかけは木津川アートで奥中さんの作品のところで電飾やってたのを知っていた比田さんが声をかけてくれたのは始まりで、このイベントは冬の山城森林公園を楽しんで欲しいという主旨でやってるんだけれども、今回の展示全体のテーマは「自然・不自然」とか言うけど「自然」ってなんやねん。そんな話のきっかけになると良いよねという事で、「自然と自然にフ自然な話」というテーマになっています。

私のテーマはその中でも、コミュニケーションやコミュニティの「自然」ってなに?て所からスタートしています。これはフライヤーにも「スマホでのコミュニケーションは不自然?」と書いてある通り、近年のSNSだとかについて心配する声などに対する疑問からきています。(別にそこに対する答えをババババンと出したい訳ではないです)

電飾はうっすら光ってる線の上を、色の付いた強い光が通るように点滅しており、通信であったり対話であったり、そういったコミュニケーションを示しています。電飾大きく、上・中・下に別れており、下は葛のツルに電飾が絡みついた有機的で複雑なネットワーク、すなわち古来からある、隣近所や集落などのコミュニケーションを示してます。それぞれの光の動きはツルで作られた集落に閉じこもっています。中段は通信網です、集落をとびこえ遠く集落に繋がったり、後で述べる上段にも繋がっています。集落から上に伸びた光の動きは、蛍光ロープで張られた規則的なグリッド上をながれていきます。ちなみに施工中は「この一番長い移動の幹線は太平洋横断海底ケーブルやな」とか思いながら施工していました。上段にあるのはネットなどに見られるコミュニティを創造しながら作りました。正十二面体の中に直線的に電飾が張り巡らされています。本来は中段につくられた通信網そのものと大差ないはずですが、実際には下段の集落同様、コミュニティ(12面体)内での通信に閉じています。このインターネットの「どこにでもつながるのに」、他のコミュニティとは中々繋がらないという現象は近年肌身で感じる方も多いでしょう。

こうやって俯瞰してみると、中段で理想的なフラットにどこまでも繋がるハードを整備しながら、コミュニティに閉じる様子は滑稽なようにもみえるし、隠れた合理性や本能があるかのようにも見ます。展示中は、下段だけがコミュニケーションを活発に行ったり、中段を通して、上段だけが活発にコミュニケーションを行ったりします。中段が静かで、下だけ、もしくは上だけが活発に動いて居るときは、視覚的には一つの光うごめく何かの物体に見えて、コミュニティが孤立(独立)したコミュニケーションを持つ事が解りやすいかと思います。逆に中段も一緒にうごくと(現実の世界では中段[=通信網]が止まる事は無い)色々な動きが見えるがために、実はコミュニティが孤立している事に気が付きにくくなります。

そういった、私が肌身で感じているコミュニケーション感をできるだけ電飾に詰め込んだ作品になります。

ちなみにテクニカルな部分では、電飾トンネルに1/5ほど歩みをすすめると、光に包まれた感がでるように作ってあります。 コミュニケーションを示す光の流れが周辺視野部を刺激して、気持ちがいいです。ジャスト私の趣味で、深い意味はないのですが、周辺視野に光の流れをぶちこんで、軽いベクションを作るのはきもちいいです。

最後に、この電飾トンネルの出口にはダミースマホの画面があります。これは、フライヤーを見てる人なら「スマホでのコミュニケーションは不自然?」って書いてあるのをヒントにして、コミュニケーションに関する作品なんやな。って気が付いてもらえるかも?という甘い期待もあったのですが、もう一つ、作っているうちに気が付いて入れた思いつきがあります。

スマホの画面って暗いと、鏡になるんですよね。上で、述べたように上段のネット上のコミュニティも、下段の集落コミュニティも一緒だし、そこを隔てる境界(=インターフェイス)はスマホである。つまり鏡の中と外の世界って程度のものなのかもしれない。

鏡という意味で、このトンネルみてみて下さい、両サイドに木がつけてあります。(当初はツルで作ろうとおもったんですが、後に木にしてます)。鳥居の語源は元々鳥がとまる、とまり木だとかいう説があたっりします。つまりこの装置は参道で、ご神体の鏡がスマホ。古代人が鏡を畏れ、信仰の対象にした本当の理由はわかりません。しかし私はその一つの理由に、自分の事を別の角度で映し出すからこそ畏れたのではと思う部分もあります。そういう意味では、SNSだとかの問題にしがちな近年のコミュニケーションに関する問題も、実はスマホという鏡を通して、別のコミュニティに射影して見えてるだけにすぎないのかもしれない。そんなシンプルな鏡の反射になってるからこそ、逆に恐れを抱いたり、否定したくなるのかもしれないなと思う時も有ります。

そんな事を思いながら作っていました。
でも、自分で作品を体験してみた素直な感想は「うひょ!やっぱ、周辺視野刺激するのは気持ち良いな〜〜ちゃんとトンネルに入って立ち止まらないと損だでよ〜。」でした。




ちなみに、これ以外に私が関わっていたのは、「光るドリンク」「階段のところとかにおいてあったキューブ状のLEDキャンドル」「12面体3つの電飾(平日はかぶって遊べた)」でした。