今日ふとしたことで、大北さんとIVRC(http://ivrc.net)の話をする機会があって、
VRの研究だとさらに人の感覚を細かく突き詰めていて「ぬるぬる感の本質」とか追い詰めてたりする。Daily Portal-Zさんでもそういうのやりますよね~。という話をしてたときに
「拾い食いは楽しい」というのを発見したんですがこれはVRですか?
http://portal.nifty.com/kiji/150609193761_1.htm
という質問をされて、答えを出せずに適当にごまかした。
元ネタを読んでもらうといいのだが、一言でいうと
「道に食べ物を(安全に)置いてもらって拾い食いをする。」
という企画である。実際には安全には不可能な拾い食いの「楽しさ」に繋がる部分を
抽出して体験させたという意味で広い意味でのVRだとは思うけど、なんか違う。
多分IVRCのようなVRコンテストに出したとしたら以下のように辛辣な質疑の嵐だろう。
- 「本当に隠れる必要あるの?」
- 「屋内ではだめなのか?」
- 「姿勢だけの問題ではないのか?」
- 「本当に食べるまでする必要はあるの?」
- 「身内が仕掛けてるから楽しいのではないの?」
- 「個人性は関係しないのか?」
- 「その楽しさは本当に、拾い食いの楽しさと同一なの?」
- 「単なるリアルじゃん」
- 「普段拾い食いしている人にとっても、楽しいのか?」
色々でてくるけど、質問者の立場は大きく2つに分けられる。
一つは人間を知る科学としてのVR学すなわち拾い食いの楽しさのエッセンスは何か?
もう一つは人間の性質からVR体験を設計する工学(設計論)としてのVR学、つまり「拾い食いの楽しさを感じる手段として良い方法なのか?」
そういった、突き詰めが記事中には無いので大北さんの拾い食いは、「VR的な事例ではあるけれども、VRシステムとしてはちゃんと作られているか怪しい」となんとなく私は感じて、拾い食いは「VR」なのか?という質問に答えられなかった気がする。
「VR的な体験だけどVRシステムじゃなさそうですね。」
と言う答えでとりあえずはいい気はする。
しかしまだ引っかかるものがあるのです。
最近VR学会の重鎮の人も草の根的な研究活動について気にしている。
大北さんの「拾い食い=楽しい」に対して、研究として体系的な実験で地道に上の質問に答えをだして突き詰める人は出ないだろう。
ただ、草の根活動として「拾い食い体験」が拡がる可能性はある。そうしたとときに、「寿司を拾い食いするのじゃなくて、回転ずしを拾い食いしたい」とか普通の実験設計ではやらないような事をする人が現れたりもする。かなりの数が無駄な実験に終わるかもしれないが、変な条件でやった例が沢山貯まると、研究者が真面目に実験設計した少数の実験を超える「拾い食いと楽しさの関係」に関する知見が得られるかもしれない。(知見をまとめるのは本業研究者かもしれないが)
何を絵空事をと思うかもしれないが、「初音ミクにそれを見た。」と言うと拾い食いのVRもブームにさえ乗れれば不可能じゃない気がしないだろうか?
そこまで考慮すると、安易にそんな奴らVRじゃねぇーよといって軽く見るのは危険な気もする。逆に拾い過ぎても薄まりすぎて一瞬のブームで忘れ去れる戯れ事となる気もする。
しょうじき、私はVR研究者ではないし、VRの学位も持たない。たんなるVR好きのオッサンだし、このモヤモヤに答えを出せる気がしない。でも世の中の色んな事に「VRかもしんない」と思ってちょっと立ち止まって見るのはいい所を付いているきがする。
注:IVRCとは関係ない個人の私見ですよ。「それは違う」と怒られる気はするけど、まぁ怒られてみないと解らないので、記事として書きました。怒るときは優しくお願いします>各位
0 件のコメント:
コメントを投稿