かなりの部分、間違ってるかも知れないが、間違っているなりに納得したので、気にしない。間違った知識で恥を搔きたくなければ本を買おう。
世界は「身体」と「環境」でできている。
自分にとって、世界は意のままに制御できる「身体」とそれ以外の「環境」がある。身体とは例えば自転車に乗っている時は自転車も「身体」だし、マウスカーソルだって「身体」。何かの作業をしようとしている時に細かい事を意識せずに制御できるものは全部「身体」。身体を用いて環境に働きかけたり、その逆に環境から身体に影響をうけたりする。コレは定義。ネットがある現在では身体ってのは世界の裏側に有っても、この世に存在しない概念的存在であっても身体であったりする、そこんとこOK? もちろん身体同様環境も変わるわな。
「価値」は「体験」を通して生まれる。
本能由来の価値等の体験を通さないものも有るけど、それは置いといて。初音ミクの例を考えよう。身体と環境の相互作用の中で「体験」がある訳だけれども、上で紹介したように「身体」や「環境」は新しい技術や技能や制限(ミクのガイドライン等のルール)で変わっていく。そこで得られるのが新しい「体験」。ミクが現れる前の時代に、ポリッドスクリーンに映されたミクライブを見てもピンと来ない。「俺たちのミクがついにステージに!」という感動(=価値)には繋がらない。つまり「体験」を通して「価値」は生まれる。「価値」の上に再帰的に新しい「身体」を構築したりするので、深いレベルでの予測は困難。
したり顔で価値をデザインしろ!って言う人いるけど、出来りゃ苦労しない。ミクがこうなるなんて正直予測できてなかったでしょ?でも新しい価値を生む努力はできる。OK?
余談
先日「俺たちのミク」を説明したんだ。「その感情は、AKBやおにゃんこクラブと同じでしょ?」って返された。どうやったらうまく説明できるか頭抱えるよね、自転車の運転の仕方という「身体」に関する説明が難しいように「価値」に関する説明も難しい。IoTの持つ意味
日経的には保守サービスの売り文句って側面がデカイだろうけど、おいといて。上の文脈で考えるとIoTはインターネットを身体化(or環境化)するための試みといえる。大事なのは透過性。自転車という道具が身体化した時、自転車という存在は透明になった気がする。それが透過性。環境の側面だと、ネットで買い物する時に、わざわざ回線網やその先のサーバ群・倉庫の存在を意識しない(トラブルが起きない限り)。
インターネットの設計自体も透過性は非常に意識されていて、プログラマはインターネットを利用するアプリを書く時にネットの存在は意識しない(トラブルが起きない限り)。つまり透過性はインターネット進化の歴史からみても哲学として存在する。
現在ネットでは情報を一旦文字・画像情報に落として表示するのが一般的であるが、それだと文章理解というフェーズがあって透過的ではない。もっと透過的な手段で、情報をより直接的に扱って身体化・環境化を進めようというのがIoTである。
つまり文字という一旦解釈が必要な非透過的なインターフェイスから、より透過的なインターフェイスへの脱却を目指すというのが、インターネットにおける次の段階の透過性の実践ってこと。OK?
なんかとても参考になりました。
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